過去の雑記
現役教員に伝えたい5つのこと
現役教員に伝えたい5つのこと
現在22カ国をまわり、次は国際ボランティアに参加させてもらうために、アフリカのタンザニアに向かっています。
働いてから初めて自由に使える時間が生まれ、今までの自分の生き方をじっくりと振り返っています。
今回は、自分が勤務している先生たちに向けてどうしてもお伝えしたいことです。
それが他の誰か一人でも、ほんの少しでも気持ちが楽になったり、安心したり、元気が出たり、勇気が湧いたり、何かのお力になれればうれしいです。
それでは1つずつ見てみましょう!
①思い切って休もう
これができないから苦労している人がたくさんいるはずです。
でも、上手に休む方法を見つけることを強くお勧めします。
なぜなら、自分を守るのは自分しかありません。
僕は、毎日頑張っている職場の先生をたくさん見てきました。
誰もいない校舎に朝早くから来て、後者のカギを開けたり、職員室の窓を開けたり、雑用をしてから仕事に打ち込む。
夜は遅くまで授業の準備や仕事に、真面目に取り組むお一人おひとりに、深い敬意と感謝の思いがいっぱいあります。
その人たちのおかげで、自分も励まされ、自分を見失わずに頑張ってこれました。
現場を離れた今、なおさら感謝の気持ちは大きくなっています。
だからこそ、僕はそんな先生たちにちゃんと休んでもらいたい。
学校や教育委員会、文部科学省が私たちの健康を守ってくれることはありません。
一人一人の現状を詳細に把握し、対応することは今はまだ不可能だからです。
世界のスタンダードからすれば、日本の教員の頑張りは
「クレイジー」(狂ってる)
「スレイブ」(奴隷)
と思われるレベルでした。
実際に世界中の人たちと対話し、確認してきました。
日本では
もっと頑張らないといけない。
まだできる。
先生が手本にならないといけない。
僕は、ずっとそんな強迫観念に近いものにも背中を押されてた気がします。
もちろん授業の準備など生徒に直接関われるとのには、喜んでエネルギーを注げました。
しかし、他にもやらないといけないことが
次から次へと一向に無くなる気配もなく目の前にやって来る。
日本の外に出てみて思ったのは
日本の労働は間違いなく異常であること。
これを知っておくだけでも逃げ道になるかもしれません。
先生という立場は、時として逃げ道をなくすほど追い込まれることがあるように思います。
先生なんだから、生徒のために尽くしてあたり前
先生なんだから、お手本になってあたり前
先生なんだから、弱音を吐いてはいけない
なんだかそんな息苦しさはありました。
でも、先生だって人間です。
親から命を授かり、一人の人間として、奇跡のような連続の中を生きているんです。
大切な1人の人間として、人生を歩んでいるんです。
教員だけやって死んでいく。
そんな人生ではないはずです。
もちろん、それを本気で望んでいる人はそれで全然いいと思います。
でも、実際はそうじゃないことがほとんどではないでしょうか。
好きな友達と会ったり
おいしいごはんを食べたり
恋人とデートしたり
家族で遊園地に行ったり
自分の趣味に打ち込んだり
新しいことに挑戦したり
世界の国々を旅してみたり
やりたいことは
それぞれきっとあるはずです。
そして、大切なのはゆとりを持ってできること。
今は休みはまず疲れをとることが優先されたり
やっとの思いで作れた休みを、無理やり詰め込むかのようにせわしなく過ごすように思えてなりません。
恋愛だってそんなに急かされたら、自分のことで精一杯で人を好きになる余裕も生まれないのではないでしょうか。
デートを存分に楽しむこともできないし
セックスだってせわしなくなるから
子どもだってできにくくなる。
僕は真面目にそう思います。
他の国の人たちは、のんびり休みを楽しんでいます。
恋人同士も日本よりうんとゆとりをもって、愛を育んでる印象を受けました。家族も仲良しだし楽しそう。
あれだめこれだめと怒られたり急かされたりしてるところをほとんど見たことがない。
日本の親もほんとは怒りたくないし、急かしたりしたくないはず。
だけど、ヨーロッパの人たちをみて
本当に豊かだなって思います。
フランスは土日休み。
年間2ヶ月の有給休暇を取ることが法律で決まっています。
パリで8月頭にフランス料理を食べに行こうとしたらバカンスでどこも休み(笑)
世界一になったダンスの先生のレッスンを受けに行ったら、バカンスで休み(笑)
本当に休むんですよ(笑)。
フランス料理もダンスも
とても行けなかったのはすごく残念だったんだけど、
自分を大切にする生き方はうらやましいなと思った。
もちろん外国の文化を丸々真似することは不可能。
そこに至るまでの過程も文化も違う。
でも、健康はすべての土台。
先生だって人間なんです。
だから、先生は自信を持って休んでほしい。
教員がお互いに理解すれば、協力すれば、今よりは必ず休めるはず。
世界的に見ても十分過ぎるくらい頑張ってるからこそ
思いきって休んでくださいと僕は、声を大にして言いたい
そして、文部科学省の方たちや政治家の方たちにも
先生たちを休ませてあげてくださいとお伝えしたい。
それくらい優先して、早急に取り組むべきことだと僕は思います。
②やりたいことをやろう
わかっているかもしれませんが、やりたいことをやってみてください。
本当に楽しいです。
また、やりたいことが次々と出てきます!
生きるのが楽しみになります!
やりたいことが溢れてきて、人生一度で足りないんじゃないかって思い始めます♪
例えば、クロアチアで知り合った方に
「ザダルの夕陽は世界一だ」
と聞き、どうしても行きたくなって行ってみた。
本当に感動した💦
また違う人に
「サハラ砂漠での感動は今でも忘れられない」
それを聞いて、ポルトガルへ行くのをやめてサハラ砂漠へ行った。
見たこともない世界に胸が熱くなった。
子どもの頃から一度でいいから空を飛んでみたかった。でも、胸の奥で完全に眠ってた。
大学時代の友達にスペインで再会。
パラグライダーを仕事にしている友達の誘いで空を飛ばせてもらった。
極度の高所恐怖症だから、自分は無理かもしれないとギリギリまで思っていたけど、やりたい気持ちが勝ってくれて、友達のおかげで僕の小さな夢が叶った。
他にもフランス軍で働く日本人に出会い、初め拳銃を撃たせてもらったり
演劇関係のライターの方に出会い
ムーランルージュを薦めてくれ
本気で感動したりした。
いつか、本場のフランス料理を食べたい。
世界一と言われるデンマークのノーマで食事してみたい。
そんなできそうな夢がたくさん溢れてきて
いつか友達と行きたい
お世話になった人と行きたい
だから仕事も頑張ろう!
そういうすごく前向きな思いがどんどん溢れてきた。
一度の人生なんだし、先生たちも、もっともっとやりたいことをやってほしい。
そして、人生を生き生きと楽しんでほしい。
それをどこかのタイミングで、生徒にも伝えてあげてほしい。生徒は間違いなく先生の背中は見ている。
先生の楽しんでる話を
きっと生徒たちは目を輝かせて聞くはず。
そして、生徒たちは大人になるのが楽しみになるかもしれない。
僕はそれも、勉強と同じくらい
もしくはそれ以上に大切なことだと思います。
③困ったらすぐ相談
人間は助け合って生きています。決して一人では生きていけません。助けて、助けられて生きている。間違いありません。
英語も話せない、まったくの素人の自分が、たった一人で世界に飛び出し、ずっと感じていたこと。
大変お恥ずかしい話ですが、自分はまるで赤ん坊だということ(笑)
切符も買えない。
字も読めない(英語以外もたくさんある)。
コーヒーの買い方もわからない。
何もかもがわからないことだらけ。
見知らぬ人に何度も聞いて、
何度も助けてもらい
助けてもらってばかりで申し訳なかったけど
ニコッと笑って助けてくれたり
あたりまえじゃないかという顔をする人や
去り際にウインクまでしてくれる人もいる。
喜んで助けてくれる人が
たくさんいることがうれしかった。
だからこそ、自分も喜んで助けられる人間でありたいと思った。
人間はみんな優しい心を持っているんだと思った。
学校だって同じ所もあると思う。
苦しかったら、吐き出して、助け合えばいい。
余力がある人が助けてあげる。
困るときはみんなある。
そうすれば、先生という変な意地をはらなくても、もっと安心して働けるんじゃないかな。
お互い相談しよう。
そしたら助け合える。
感謝と喜びが少しでも広がる方がいい。
そのためにも、先生たちに喜んで助け合えるだけの時間や心のゆとりを確保できるように、国も真剣になってもらいたい。
困ったら相談できる。
そんな健全な環境になれば、子どもたちだってきっと安心して悩みを相談して、安心して過ごせるようになるのではないでしょうか。
子どもたちは、大人の鏡ですから。
もう一度、僕は背筋を正そうと思います😊
④意見は言おう(遠慮はしない。配慮はする。)
苦しいときは苦しいし、できないことはできない。
もちろん、楽してさぼっているのはいけないけど僕は周りをみていてさぼっているのはほんの一部。
つまりほとんどの先生はさぼってないのに忙しすぎて潰されそうな人がたくさんいる。たくさんいるということは、やはり何か改善する方法を見つけなければならない。
そこで大切になるのは、意見を言うことだと思います。言わなければ先生達が苦しんでいることもわからない。何に苦しんでいるのか、いつなのか、どれくらいいるのかもわからない。
だからこそ声をあげることは1つの突破口になるのではないかと思います。
私たち教員は、ストライキはできないが、一人ひとりが声をあげることはできる。
その声が一人増え二人増え、次第に流れとなり、万波となれば何も変わらないはずがない。
それを変えようとしないのなら、それは教育を見捨てるのと同じではないだろうか。
クラスの中で困っている生徒がたくさんいるのに、耳も傾けず、対策もとらず、不登校や病気になってもその生徒が悪いと言わんばかりのクラスと同じ。
教員の上司にあたる人たちがそんな程度なら、日本の教育の未来はないでしょう。
しかし、ここ最近、教員の働き方に対して見直す必要性を感じている声が聞こえているのは僕たちにとっては希望の光です。
ピンチはチャンス。
今は、時代が劇的に変化する真っ只中です。
教員が声をあげ、お互いが歩みより、共通の目標に向けて前進するべきではないでしょうか。
文部科学省や教育委員会だけに任せて良いものが生まれるか。
現場の先生だけの意見だけで良いものが生まれるか。
激動する時代だからこそ、その両方をバランスよく取り入れ新しい時代にあったものを作り出す時ではないでしょうか。
そのためにも、今、読んでくださっている勇気ある意見こそが、最も大切だと僕は思うのです。
⑤自分を大切に
人生の主役はなんといっても自分です。
だからこそ、自分の心の声は大切にしてほしいと僕は思います。
教員として16年働いてきた僕は、やはり生徒のため。
これが根底にあります。
これは今、世界を旅し、ボランティアに参加させてもらっている今も変わりません。
生徒のためにという思いがあるのは間違いありません。
そして不器用な自分はそれが正しいとずっと思い込んでいました。
振り返ってみて、もしかしたら捉え方が違ったんじゃないかなと今は感じることがあります。
生徒だけでなく、自分も大切にすべきではないかと。
例えば、少し無理をしてでも勤務時間を越えて仕事をしたり、休日を返上して仕事をしたりしたことがあります。
日本の教員なら当たり前すぎて何言ってるんだと言われるレベルだと思います。
しかし、無理して体調を崩すことはトータルで見ればマイナスになることがよくあります。
疲れていると楽しく仕事はできません。
イライラしてちょっとしたことで怒ってしまったりして空回りしたり、自己嫌悪に陥ることがよくありました。
仕事が終わらないからと休日を返上して仕事をすることはざらにありました。
これでは、自分のやりたいことはいつまでたってもできません。
生徒のためにやることは素晴らしい。
でも限度を超えればそれは、無理が生じるし、継続可能な努力ではなくなります。
必ずどこかで破綻します。ひどいときはうつになったり、自ら命を断ってしまうそんなあってはならないことが起きてしまう。
自分の周りにも実際に起きてしまったことです。
やりたいことをやれば、自分の人生に張りができるし、リフレッシュだってできてまた仕事を頑張ろうって思う。
今はそれがほぼ不可能な気がします。
もし可能なら自信を持って好きなことに時間を使ってほしいし、不可能なら周りに相談したり、声をあげることをしてほしい。
指をくわえて待っていては、現実は何も変わらない。自分の意思ではなく、本当の意味で奴隷のような人生になってしまう気がするのです。
生涯をまさに全うしようという高齢の方たちに、後悔していることは?との質問に
もっとやりたいことをやればよかった、という思いが圧倒的に多いと聞いたことがある。
私たちは、人生の肝とも言えるこの大事なことを、先人から学ぶべきではないだろうか。
一度しかない、奇跡の連続のような人生を僕たちは歩んでいるのですから。
そして、私たちは幸せになるために生まれてきたのですから。
アフリカのタンザニアより