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【初体験】ようやく気づけた『食べ物の大切さ』

【初体験】ようやく気づけた『食べ物の大切さ』

【初体験】ようやく気づけた『食べ物の大切さ』

(注)動物の生死に関する刺激が強い表現があります。事実をそのままお伝えしたいので、苦手な方はご注意下さい。

 

タンザニアで約1ヶ月生活してみて、あらためて食べ物の大切さを身にしみてかんじました。

特に、たまたまイスラム教の大きなお祝いの日があって、牛やヤギを食べて良い日がありました。

その前日、井戸水を汲みに行ったとき、偶然牛が殺され解体してる場面に出くわしました。

 

翌朝、牛を四頭殺すからおいでよと教えてもらいました。ためらいはありましたが、早朝牛が殺されるところを見に行きました。実際には、牛の前にヤギが殺される場面に出くわしましたが…。

 

今回はどうしても、自分の心の奥の方で

 

「見るべきだ」

 

と訴えかけてきたのでそれに従ってみました。

今回の経験を通して

 

「いただきます」

「ごちそうさま」

の本当の意味が今までよりも、心で感じられたと思います。

 

今回は、アフリカ大陸、タンザニア(ザンジバルを含む)を経験して感じた、3つのことについて書きたいと思います。

 

 

おもてなしの心への感謝

主食は、ウガリ、米、パスタ、麺、パンやナンみたいな円形の平べったいのを食べました。

ウガリ率が一番高く、みんな普通は手でこねて食べる。やはりちょっと抵抗ありました。

 

お米は日本と似ていて想像以上においしかったです。オーソドックスなごはんが多いですが、グリーンピースを混ぜたものやピラウ?日本のピラフのようなのも出してもらえました。

 

パスタも出てきたのは、予想してなかったのと一度だけ幼稚園のお昼ご飯に麺が出ました。ビーフンのような細さですが、やわらかいもので、パスタソース(もちろんそんなオシャレなものではありません。)をかけて食べましたがおいしかったです。

 

パンは、普通の食卓ではトースターがないのでやわらかいまま。バターやジャムをつけて食べました。

やはり、トースターでこんがり焼いて食べるのが自分は好きだなと感じました。

 

調味料も限られ、調理器具も少ない。味付けも日本のようなバリエーションなどここでは想像できない。

 

そんな中、毎日料理を作ってくださった現地の二人の女性は、毎日少しずつ工夫してごちそうしてくださいました。

 

おそらく現地の方たちが日頃食べているものよりずっと豪華で、たくさんの種類の食事を提供してくれました。

 

食事の後で、この言葉を伝えるととっても喜んでくれたことがうれしかったし、ずっと忘れない思いでです!

 

「チャクラキタム」

スワヒリ語で、ごはんおいしかったです!!という意味。

 

「ASANTE SANA!」

感謝を伝えるありがとうの意味。

 

 

 

食事を作ってくださる方への感謝

まず刃物。日本のありふれた家庭のように何種類もない。ナイフのようなもので野菜や果物を器用に切る。まな板も使わない。

食材を切りながら、鍋に水を入れてお湯を沸かす。鍋はずいぶん使い古されたものしか見たことがない。取っ手がないものが普通。逆に取っ手があるほうが珍しかったと思います。それくらい質がよくないものを使い、それでも大切に使えるだけずっと使っているのだと思います。

 

沸騰して運ぶときは、もちろん鍋つかみなんてありません。首に巻いてるタオルとかで持ち運びます。何度か自分も運びましたが、なかなか危険でした(汗)

 

お湯はお米を炊くときにも、ジャガイモをゆでるときにも必要。もちろん井戸やタンクから汲むことがほとんど。水道がある家庭はほとんどない。
※生徒に伝えたいこと(水の大切さ)参照

 

料理のためにお湯を沸かしたり、僕たちの飲む用の水を用意するために大量の水を沸騰してくれたり、豆を煮たりするためのコンロもありません。

 

ガスのタンクでコンロ代わりにしたり、小さな囲炉裏みたいなものに炭を入れて、それを燃やして料理していました。

 

僕たちはザンジバルで2週間ほどボランティアや様々な活動をしていました。その間、二人の現地の女性が食事を作ってくれました。

 

 

朝起きたら、食事の準備を始めて、夜7時頃の夕食までずっと食事の準備をしてくださっていました。

 

日本なら時間を短縮できることを、こちらはそれができないので長い時間をかけて作ってくれました。こちらが食事代も含めお金を支払っているけれど、僕たちのために自分の時間、自分の人生を使ってくれていると思うと、今までよりずっと食事の有り難みを感じたし、親が作ってくれた食事や今までの自分の食事に対する思いを良い意味で変えるきっかけになったと感じます。

 

 

 

命をいただくことへの感謝

9月1日(金)は、イスラム教の大きなお祝いの日のようです。日頃は食べない牛なども食べられるとあって、その日が近づくにつれていつもとは違う賑やかな雰囲気に変わっていくのがよくわかりました。

 

ヤギや牛を食べる食べるために、1日の朝、ヤギと牛を5頭殺すことを現地の方が教えてくれました。

 

そういうのを見ることがもともと非常に苦手な人間ですが、今回は見ておくべきだと自分の奥底から訴えてくるものがあり、ためらいも大きかったですが、現地の人も見てもいいと言ってくれたのもあり、ボランティアメンバーの日本人4人で一緒に見に行くことにしました。

 

牛を見に行くつもりでいったら、先にヤギが殺される準備が始まり、いきなり心の準備もないまま、それを見ることになりました。

 

ヤギの首には縄があり、木に括られていました。足は4本共縄で縛ったあと、逃げられないように横に倒されました。下には、葉っぱのようなものが敷かれていました。

 

 

日本人の僕たちは皆目を背けがちでしたが、現地の人たちはうれしそうでした。
最初は理解できませんでしたが、この人達にとってみればごちそうだし楽しみな気持ちもあるのかなと思い直しました。

 

 

 

また、自分はこういうシーンを全く見ることなくあたり前のように肉を食べていた現実に頭を殴られる思いがしました。

誰かにそういう残酷な部分を任せ、自分は生き物の命のありがたさ、命の重さを知らないまま、食事をしていたことを気づかせてもらいました。

 

牛を殺す所は、気後れし僕は見ませんでしたが、解体後の様子です。得意気な様子が自分にはやはり解りかねますが、何かの気づきのきっかけになればと思い紹介させていただきます。

以前、農業科の先生が、学校で育てた牛を生徒達で食べることを経験し、食べることへの感謝を一緒に学んでいると聞かせてもらったことがあります。

 

「いただきます」

これは、命をいただくということ。動物や植物の命をいただくことで、自分の命を長らえる。だから、感謝の気持ちで食事をする。

 

「ごちそうさま」

そんな大切な命を自分はいただいた。だからそれは最高のご馳走。粗末にしてはならない。そして、その命、その食事に対して最大限の敬意と感謝を伝える。それがごちそうさま。

 

この二つを言うときの心構えが変わりました。

 

 

余談ではありますが、疑問に思ったので現地の人に質問してみました。

 

僕たちのホームステイ先には冷蔵庫がない。もちろん冷凍庫もない。

でも毎日、貴重な肉を提供してくれていました。

 

どうやって保存しているのか。それとも燻製にしているのか。もしくは、そのまま常温保存?

答えは、冷凍庫を持っている家に保存させてもらったり、業者にお金を払って冷凍庫に保管させてもらったりしているようです。

質問の大切さ。わかることで得られる安心感もあらためて学ばせてもらいました。

食べ物が有り余る日本という国を離れ、全く逆の国で生活させていただきました。そのおかげで生きていく上で、大切にしたい、忘れずにいたいと心から思えることを命に刻ませてもらいました。

 

ここを離れてもこの気持ちはずっと大切にできる自分でありたいと思います。

 

 

※ボランティアメンバーとの楽しい食事は

いい思い出です!