過去の雑記
無題
日に日にやせ細っていく母の姿を見て
胸の奥がざわつく。
感情が大きく揺さぶられる。
頬もこけ
腕も足も
昔の半分もないくらい痩せた。
仕事帰りにたまたま買い物帰りの母が
玄関の前で立ち往生。
玄関の扉を開けて入ることすら
足もとがおぼつかない。
いつ歩けなくなってもおかしくない。
体の内側や腰、関節など
全身のいろんな部分が痛いと悲しい表情を浮かべる。
気持ちを察すると
見ているのが辛い。
とにかく一生懸命聞いてあげたい。
口の中も切れて痛いと言う。
だから食べれるものも少なくなり
最近はどんどん食も細くなっている。
立つのが精一杯の母が
腰が曲がった状態で台所に立っている。
Tシャツから見える背中は骨と皮しかない。
本当にやせこけてしまった。
髪の毛さえ
元気を失ってしまっている。
残りの人生が
本当にあと少しということは
誰が見ても明らか。
だからこそ
母の体を気遣いながら
心配させないように
できる限り平静を装う。
何十年も耳を貸さなかった母との会話を
ここ最近は自然とするようになった。
一切聞く耳を持たなかった母の声を
求めている自分がいる。
どんな感情でもいいから
聞きたいと。
痛いとこ。
辛いこと。
とめどなく喋り続ける。
でも少し安心する。
生きているから。
その声すら出ない時も
最近はずいぶん増えてきた。
それくらい
生命力が吸い取られるように
元気を失っていく母。
そんな状態でも
息子である僕のことを
いつも気にかけ心配してくれている。
申し訳なさとともに
どこまでもどこまでも
深い愛情を与える母に
感謝の涙が出てくる。
ずいぶん時間がかかったなと。
自分は何をやっているんだと。
それなのに昔は
母の優しさをうっとおしいと
いつも嫌う自分がいた。
どれほど母を傷つけたかわからない。
どれほど母を悲しませたかわからない。
それでも母はずっと変わらず
僕を心配し応援し味方でいてくれる。
僕も人生のどん底を何度か味わい
人並みには苦しい経験もしてきた。
だからなのか、それとも
最期が近づいているからなのか
母の変わらない愛情というものが
いかに大きな存在であるか
今になって身にしみて感じる。
母の愛は海よりも深いと。
階段を四つん這いになりながら
ゆっくりと登っていく後ろ姿が
あまりにも頼りなくて心配で
胸が締め付けられる思いがしました。
母の人生の
本当の終盤で
母の偉大さに
やっと気づけてきた。
ずっと目を背け
避け続けてきた家族。
生きてきて初めて真剣に向き合っている。
やっと少し家族らしくなってきた。
今日、母の人生が終わってもおかしくはない。
明日、母の人生が終わってもおかしくはない。
みんなそう。
誰もがそう。
でも、そんな母を見ていると
焦る気持ちが出てきます。
目に見える大成功を
報告したい気持ちもある。
今は自分にできることで
精一杯親孝行したい。
背伸びせず
自分を卑下することもなく
ありのままの自分で
人の役に立ち
精一杯楽しみながら生きる姿を見せ続けたい。
いいことあったら母に伝えよう。
だからいいことをたくさん作らないと。
やっぱり生きているうちに
自慢の息子と思ってもらいたい。
この子の母でよかったと思ってもらいたい。
生まれてきて幸せだったと
母に微笑んでもらいたい🌸