校長室
【校長室】<ひとり問答>全ては「違う」から始まる?
こんにちは。校長室の稲川です。
夕方、外で瞑想をしていた時のこと。
爽やかな風に木々がかすれる音をきき、ふと問いが浮かんできました。
「すべては、変化があるからわかるんじゃない?」ということです。
風は、止まっている私にぶつかるから、吹いていることを感じられます。私と風の間に変化が生じるから、私は風を認識できるはずです。吹いていた風が止むから、風があったことを認識できるはずです。
では、生まれた頃からずっと鳴り止まない音があったらどうでしょうか。もしかしたら、その状況では音として認識できないかもしれません。足し算にしても引き算にしても、変化があるから感じられるのではないでしょうか。
つまり、私と〇〇は「違う」から、あらゆる認識ができるのではないでしょうか。それは人でも、風でも、同じだと思います。
そう思うと、「違う」って、「私を知ること」なんじゃない、と思いませんか?
「違う」は悪いことでも、恥ずかしいことでもなく、「私」を証明する数少ないツールなのではないでしょうか。そして、その差異は、私自身の認知を助けてくれるはずです。
ちなみに私はバングラデシュの研究をしていますが、もしかすると、バングラデシュを知っていくことは、「私」を知ろうとする営みに他ならないのかも、と思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました!